金木高等学校市浦分校    取材日:2017年9月20日  取材者:総務課 高谷 健太

靄山に見守られ-最後のお山参詣-

今年度末で64年の歴史に幕を下ろす金木高校市浦分校。旧暦の8月1日にあたる9月20日、五所川原市脇元地区の伝統行事である「脇元お山参詣」の取材をさせていただくことになった。
秋風爽やかな朝、青森市を出発して市浦分校を目指した。先日、新聞報道で目にした「全国高校定時制通信制陸上大会」に出場したアスリートに会うことも楽しみの1つでもあった。
校舎への到着時刻は、生徒たちが行動を開始する予定30分前の9時00分。予定どおりに到着と思いきや、目の前には「小泊小学校」が現れた。
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少しの沈黙を挟んだ後、焦る気持ちを抑えつつ自動車のナビを確認すると「金木高校小泊分校」の文字。急ぎ再設定をして、いざ市浦分校へと波乱の幕開けとなった。
しかし、「おはようございます」と元気なあいさつで出迎えてくれた市浦分校の生徒たちのおかげで、凡ミスで落ち込みかけた記者のテンションは急上昇、気分は明るくなった。その後の打ち合わせの中で、藤澤重信校長と白濱卯教頭から伺ったお話しによると、かつて小泊小学校の校舎内に小泊分校があったのだそうだ。

さて、場面は変わり、教職員と在校生7名がお山参詣に向け、洗磯崎神社を目指した。

 しばらくすると、市浦中学校の生徒たちや地域の方々も集まり、市浦分校からは代表者として校長先生、教頭先生、生徒会長の竹ヶ原藍花さんが五穀豊穣や大漁を祈願した。

 洗磯崎神社からはっきり見える靄山(標高152m)山頂の脇元岩木山神社を目指した。
同時期には、弘前市百沢の岩木山神社でもお山参詣が行われるが、地域の方々は「靄山は姉、岩木山は妹」と思っており、地元の靄山に誇りを持っているようだった。

「サーイギ、サーイギ、ドッコイサイギ」と声を響かせ、海風を受けながら、生徒たち自身の倍以上の高さの御幣や供物の酒、餅、果物等を抱えながら歩いた。
近くで見ると、御幣や供物は重く、風にも煽られて大変そうだ。しかし、そのような表情を一切見せず、口にも出さなかった。
餅を軽々と抱え、笑顔で沿道の声援に応え、周囲にも気を配る男子生徒と話すことができた。冒頭にもふれたが、個人的に会うのを楽しみにしていた櫛引凌介さんであった。彼は、陸上の全国大会で砲丸投げに出場したこともあるアスリートで、部活に対する熱意を感じることができ、青春を感じたひとときであった。

 靄山の麓までたどり着くと、生徒たちは、少し休憩をした後、靄山頂上を目指す。
まだ、お山参詣は終わりではなく、ここからが本番なのだ。

 傾斜30度以上の急坂を汗だくになり、仲間同士で声を掛け合いながら、一歩、一歩、そして、着実に登っていく。当然、足元も滑りやすく、供物を抱えているため、体力が奪われ、表情も険しくなった。

 ようやくたどり着いた御社では、就職や進学など、それぞれの将来を願いながら参拝し、眼下に広がる七里長浜や権現崎に見入っていた。
 参拝した人しか味わうことができない達成感とこの景色はすごく贅沢だ。

 また、生徒会長と陸上部部長の二刀流の竹ヶ原藍花さんは、「山頂からの景色を見ると達成感があると同時に、全員で参加できるお山参詣もこれで最後になるので寂しい」。と話してくれた。竹ヶ原藍花さんも100mと走り幅跳びで全国大会に出場した強者で、最後まで足取りも軽く、律儀に最後まで私の取材を受けてくれて、ありがとう。
仲間と先生、地域の人たちとお山参詣したことが、今は、あまり実感がないかもしれないが、時が経てば経つほど大事な思い出になると思った。お疲れさま!

 下山後、麓では神事が執り行われ、参拝した3年生全員の名前が1人1人呼ばれ、玉串奉納を行った。
また、昨年度末に卒業した白川憲人さん、成田賢汰さんはお山参詣に後輩と共に参加していた。「母校は今年度でなくなり残念だが、後輩たちの逞しい姿を近くで見ることが出来て良かった」と語ってくれた。

 平成13年から続く参加も、今回が最終回となり、今年度末で閉校が決まっている。記者の私も「学び舎」が閉校となってしまった1人なので、とても残念だと思った。
これからも仲間たち、地域の方々との絆を大切にして、将来に向けて笑顔で歩き続けてほしい。無限の可能性を秘めている皆さんのご活躍を願っています。さらに、若きアスリートたちから挑戦することの難しさ、大切さを学ばせてもらい貴重な1日となりました。皆様、どうもありがとうございました。
この後、迷走することなく帰途につくことができました。